珈琲に生かされた。

1993年生まれ、富山県出身。
3人兄弟の真ん中として産まれ、2歳年上に重度身体障害(脳性麻痺)の兄を持ち、幼い頃から兄の学校や病院について行った事もあり、理学療法士になる為に大学を卒業し富山市内の病院に勤務。

入職1年日の冬、ある日朝起きたら身体が動かず…
病院に行くとうつ病の診断を受け、休職→退職。

その時は人生が終わった。という絶望感しかなかった。その後、ひきこもりとなる。

そんなひきこもり生活のある時、新しく変わった主治医に言われた。

「あなたの好きな事だけやりなさい。」

頭では理解出来たが、〝心〟では理解出来なかった。自分の好きな事とは?自分とは何なのか?全てが空っぽに感じた。25歳で自我が無いことにようやく気づいたのである。

その後というもの、毎日のように自分を見つめ直した。好きがわからなくとも、少しでも気になる事をやってみよう。色んなことに手をつけて、その中の一つが珈琲だった。珈琲にのめり込む感覚の中に、子供の頃の感覚が重なった。

5才の頃の自分。今でも自分の中にいる。ずっと泣いていた。

怖くて不安で誰かに何かを伝えようと必死だった。それが、途中でいきなり泣くのをやめた。大人にならなきゃと思ったのだ。その時、自分の中の本音の蓋が閉じた。

その時の事は今でも鮮明に覚えている。

自分の本音よりも、周りを優先して生きてきた。自分さえ我慢していれば、傷付かなくて済むと思ったからだろう。

うつ病になったタイミングが、そんな他人中心の生き方に限界を迎えたタイミングだったんだろうと思う。

そんなとある日、県内にあるみやの森カフェというコミュニティカフェで、珈琲の話をしていた際、「手淹れの珈琲出してみたら良いんじゃない?」と声を掛けて頂き、「かなめ珈琲」がスタートしたのである。

自分らしさというものは今でも正直わからないが、珈琲を触っている時の自分は、とても〝わがまま〟でいれると感じる。繊細さを活かす事が出来きる喜びを感じる。その感覚が自分にとってすごく特別に感じる。珈琲があるからこそ今の自分があり、〝珈琲に生かされた〟のだ。